40歳で女性から男性に

「戸籍名を4月に変えたんだ。40歳でね。ありふれた女の子の名前から『げん』にしたんだ」
お気に入りの青い太めのジーンズに白と緑のストライプのTシャツ、頭は丸坊主と言う出で立ちで「げん」は話した。生まれた時の生物学的な性は「女」だったが、自分自身を女だと思ったことは一度もないという。げんは静岡県浜松市に住む竹鞄をつくる職人で、竹を育て材を取るところからすべて手作業で、年間約50個の竹鞄をつくっているそうだ。
どうして改名したのかと言うと、「実はこの3月に離婚したんだ。相手は男の人でね。29歳の時からだから、結婚生活は11年続いたのかな。この離婚が改名のきっかけ。苗字が変わるなら名前も変えようと思ってね。」とのこと。
げんは1974年、浜松市で生まれた。小さいころに両親が離婚し、母方の祖父母のもとで育てられたそうだ。幼少期からピンクやひらひらの服装には全く興味がなく、中学の頃のセーラー服は大きな苦痛だったという。母親は「この子がセーラー服ガイヤだって全然知らなかったよ」と言う。「今思えば帰りはいつもジャージだったね」と当時を振り返る。
自分の身体が女性であることに強い違和感を抱き続けてきたげんだが、性指向についてはこだわりが薄く、性別問わずにさまざまな人と付き合ってきたそうだ。そして30歳を目前にして、仕事関係で知り合った男性と結婚する。「根本の価値観が合ったんだろうね。いい人だったよ。夫が養うとか妻が家事するとかのルールがない。自分の生活は自分で何とかする。分かりやすい生活スタイルだった」と振り返る。竹鞄の師匠に出会い、本格的に職人の道を歩み始めたのもこの頃だったそうだ。
男の人と結婚することに抵抗はなく、子どもも欲しいと思っていたと言うげんだが、”自分の体が変化する”という具体的な想像ができなかったそうだ。結局子どもは出来なかったが、それでよかったと思っていると話す。
結婚していたころは髪を伸ばしていたというげん。周りから”普通”に見えることを無意識に意識していたという。そんなげんの方向が少しずつ変わり始めたのが3年前、テレビでたまたまトランスジェンダーについて扱っている番組を見たことがきっかけだったという。トランスジェンダーの仲間を興隆するようになり、自分もトランスジェンダーだと自認するようになっていったそうだ。
しかし、離婚の原因はジェンダーのことではないという。相手の親せきや近所の手前もあり、離婚の理由は「性格の不一致」とうやむやにした。
離婚届を出したその日に髪をバッサリ切り、丸坊主にしたそうだ。げんは自らがトランスジェンダーだと自認したことで、ようやくアイデンティティーを獲得できたのかもしれない。
今は東京のジェンダークリニックに通院し、性同一性障害と診断されて手術が受けられるようになるのを心待ちにしているという。
日本でも東京などではLGBTの人たちへの理解が広まってきた入るが、浜松などの地方都市ではまだまだ理解されない。日本のどこにいても否定されず、邪魔されず、自分らしく生きられる日はいつやってくるのだろうか。